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プロフィール
HN:
おれ
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1983/08/19
職業:
院生
趣味:
隣人を愛すること
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やぁ。
久しぶりに週末を自宅で過ごしました。
年末ですね。
だからといって、何がどうということはないですが、ふと一年を締めくくらなければいけないという強迫観念に捉われました。
今年度は、学生最後の年ということもあり、そういう気持ちが強いのかもしれない。
ということで、しばらくの間、このところ数年間を振り返ってみようかなっと。
あっ。この記事、全く面白くないです。まさに自分に向けてのオボエガキです。
タイトルについて、私の研究を知っている人は、研究の話?と思うかもしれない。
でも違うよ。
変化とは差分であるのか。
私のこの数年間は、それ以前と現在との単純な差分で表現できるのだろうか。
ということを、最近考えてみている。
結論は、できない。
それは当然で、人間なんて複雑な系が線形性を持つわけがない。
人間は多様な軸を持っていて、それぞれの軸は独立に非線形な変化を、日々起こしている。
何が言いたいのかっていうと、バランスって難しいねってこと。
例えば子供。
子供にクリティカルな影響を与えうる人間、事象はかなり限られている。
だから、父、母、兄弟など、クリティカルな人たちそのものが、その子供の軸として、それらの人たちが形成される。
成長するにつれて、子供はより多様な世界に触れ、彼らの軸は多様化、細分化していく。
軸の多様化は、総体としての軸の系の安定性を増す。
だが、細分化は、系の主体を曖昧にする。
主体がはっきりしていると、バランスをとるのは簡単。
自分を客観的に眺めたときに、自分の主となる性質の由来がはっきりしている、ということだから。
でも、由来が分からない状態では対策が難しい。
今の俺に最も大きな影響を与えている、俺の主体はなんだろう。
もう分からない。
知識や経験は家族の影響が大きいと思う。
でも、考え方なんかは違う。
たぶん、あえて言うなら、俺自身が俺の主体なんだろうな。
つまり、自分の知識や経験が偏っていると感じた場合、主体とは異なる対象との接触を増やせばいい。
簡単だね。
でも、考え方が偏っているとき、しっくりこないとき、俺はどうすればいいのかな。
今日の趣旨は、ここ数年のまとめです。忘れてない、大丈夫。
この数年間、私はこのようなことを考えて、自分の変化を観察してきたわけです。
そして、何度か自分自身を使って実験もしてみた。
おかげで知識、経験の部分は簡単に、しかも短期間で変化を自在に操れるようになった。
それは、知識とか経験なんてやるかやらないか、ただそれだけの表層的なものだからだと思う。
じゃあ、考え方は?
考え方はより深層的、根源的なものだから、他人に影響を受けるにしてもかなり危険が伴うようだ。
一気に傾くんだよね。
誰かの考えを、深く考えもせず受け入れると、一気にそれまでのバランスが崩れる。
それからしばらくの期間、変化が激し過ぎてよくない状態に陥る。
結局、考え方に関わるような大事な部分は、長時間かけてゆっくりと、自分で考えるしかないんだろうね。
そういう作業は非常に億劫だけど、ロバストにならなきゃいけない大人としては致し方ない。
俺はロバストになりたい、誰よりも。
ロバストじゃない社会で、誰よりも強く生きたいから。
久しぶりに週末を自宅で過ごしました。
年末ですね。
だからといって、何がどうということはないですが、ふと一年を締めくくらなければいけないという強迫観念に捉われました。
今年度は、学生最後の年ということもあり、そういう気持ちが強いのかもしれない。
ということで、しばらくの間、このところ数年間を振り返ってみようかなっと。
あっ。この記事、全く面白くないです。まさに自分に向けてのオボエガキです。
タイトルについて、私の研究を知っている人は、研究の話?と思うかもしれない。
でも違うよ。
変化とは差分であるのか。
私のこの数年間は、それ以前と現在との単純な差分で表現できるのだろうか。
ということを、最近考えてみている。
結論は、できない。
それは当然で、人間なんて複雑な系が線形性を持つわけがない。
人間は多様な軸を持っていて、それぞれの軸は独立に非線形な変化を、日々起こしている。
何が言いたいのかっていうと、バランスって難しいねってこと。
例えば子供。
子供にクリティカルな影響を与えうる人間、事象はかなり限られている。
だから、父、母、兄弟など、クリティカルな人たちそのものが、その子供の軸として、それらの人たちが形成される。
成長するにつれて、子供はより多様な世界に触れ、彼らの軸は多様化、細分化していく。
軸の多様化は、総体としての軸の系の安定性を増す。
だが、細分化は、系の主体を曖昧にする。
主体がはっきりしていると、バランスをとるのは簡単。
自分を客観的に眺めたときに、自分の主となる性質の由来がはっきりしている、ということだから。
でも、由来が分からない状態では対策が難しい。
今の俺に最も大きな影響を与えている、俺の主体はなんだろう。
もう分からない。
知識や経験は家族の影響が大きいと思う。
でも、考え方なんかは違う。
たぶん、あえて言うなら、俺自身が俺の主体なんだろうな。
つまり、自分の知識や経験が偏っていると感じた場合、主体とは異なる対象との接触を増やせばいい。
簡単だね。
でも、考え方が偏っているとき、しっくりこないとき、俺はどうすればいいのかな。
今日の趣旨は、ここ数年のまとめです。忘れてない、大丈夫。
この数年間、私はこのようなことを考えて、自分の変化を観察してきたわけです。
そして、何度か自分自身を使って実験もしてみた。
おかげで知識、経験の部分は簡単に、しかも短期間で変化を自在に操れるようになった。
それは、知識とか経験なんてやるかやらないか、ただそれだけの表層的なものだからだと思う。
じゃあ、考え方は?
考え方はより深層的、根源的なものだから、他人に影響を受けるにしてもかなり危険が伴うようだ。
一気に傾くんだよね。
誰かの考えを、深く考えもせず受け入れると、一気にそれまでのバランスが崩れる。
それからしばらくの期間、変化が激し過ぎてよくない状態に陥る。
結局、考え方に関わるような大事な部分は、長時間かけてゆっくりと、自分で考えるしかないんだろうね。
そういう作業は非常に億劫だけど、ロバストにならなきゃいけない大人としては致し方ない。
俺はロバストになりたい、誰よりも。
ロバストじゃない社会で、誰よりも強く生きたいから。
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